始まりは、俺の勘違いだった。


My Own Way & Your Own Way


とある日の部活帰り、俺は陸橋を渡ろうとしていた。
歩いてる人はなくて、橋の半ば辺りで若いお姉さんが欄干にもたれて―多分下を覗き込んでるんだろう―立っているだけだった。

それだけなら別にどうってことはなかったと思う。だけど……

  ふらぁっ

急にそのお姉さんは前に倒れこんだんだ。

「!?」

馬鹿なっ、下は鉄道だ! この人、まさか…!?
考える前に俺の足は動いていた。

 ダダダダッ ガシッ!!

「ダメですよ、お姉さん!」

俺は落ちそうになっていたお姉さんの体を抱えた。
しかも自分で思ったより慌ててたんだろう、こう口走っていた。

「どんな事情があるか知りませんが、自殺なんて!!」
「……はい?」

お姉さんは『何言ってんだ、君は』と言わんばかりの顔をした。



「ブワッハッハッハッハッハッハッ!!」

静かな公園に豪快な笑い声が響く。

「そーかそーか、」

ベンチに座ったお姉さんは笑いすぎて目の端に溜まった涙を拭いながら言った。

「飛び降り自殺でもすんのかと思ったのか。」
「ハイ、違ったんですね。スイマセン…」

俺は自分のとんだ勘違いに縮こまるしかない。
全く、何て馬鹿なことをしてしまったんだろう。恥ずかしい…

「でもまっ、」

お姉さんは笑いながら言った。

「どのみち危ないとこで落っこちるトコだったからな、有り難う。ホントに助かったよ。」
「いえ、そんな…。当然のことをしただけです。」

言いながら俺はふと、疑問に思ったことを口にした。

「あの…それじゃ何で落ちそうになってたんですか?」

お姉さんは、ああ、と呟いてふと目を伏せる。

「大したことじゃないよ、景色をよく見ようと思ってさ、乗り出しすぎただけ。
馬鹿だよなー、21にもなってー。」

ここでお姉さんはワハハハとまた豪快に笑う。

「えっ…21…?」

俺は失礼ながらそう呟いてしまった。

だって、お姉さんは割と幼い感じの顔だったから俺はてっきり高校生くらいだとばかり思ってたのだ。

「おう、こう見えても大学の4年だ。そーゆー君はいくつだ、ちなみに?」
「中3です。」

俺が答えると、お姉さんは急にキョトンとした顔になって黙ってしまった。

「あの、どうかされたんですか?」

俺は内心焦った。何か俺は妙なことでも言っただろうか?
それとも嘘吐け、そうは見えないぞ、とでも言いたいんだろうか?

でも、お姉さんの口からは俺の予想とは違う言葉が漏れた。

「いや、私なんぞよりよっぽど大人の目をしてるなって思ってさ。」

お姉さんが急に切なそうに言うもんだから、俺は慌てた。

「いえ、そんな…普通ですよ。」

それでもお姉さんはゆっくりと首を横に振る。

どうしたんだろ、遠い目をして。

「少年、」

お姉さんは言った。

「君には将来の夢があるか?」

それは唐突な問いだった。

どうしてそんなことを聞くのか、俺にはこのお姉さんの真意がわかりかねる。
でも、何がともあれ聞かれたことには答えるべきだと思った俺はこう答えた。

「まだはっきりとは決まってないんです。でも、人の役に立つようなやりがいのある仕事につきたい、と思ってます。」

お姉さんは俺の答えに満足したのか、そうか、と呟いた。

「それだけでもあるってのはいいことだ。」

そして、この人は言った。

「私には、何もない…」
「お姉さん?」

沈んだ声に、俺は何か不安を感じた。

「私は、なーんにも考えないで高校行って、なーんにも考えないで学生生活送ってるうちにすっかり遅れちまった。
周りの連中は自分なりに奮闘してんのに、私はどーすりゃいいのかわかんないままボーッとしてる。」
「えーと…」

参ったな。フォローしたいのに、いい言葉が見つからない。

「あっ、ゴメン!」

俺の態度に気がついたのか、お姉さんは声を上げた。

「困らせるつもりはなかったんだよ。よーするにやりたいことはあるに越したことはないって話でさ。」

一瞬、言葉を切ってからお姉さんはこう続けた。

「私みたいな奴は、ダメなんだよ。」

それきり、お姉さんは口を閉ざして俯いてしまった。

俺は、どうすればいいのかよくわからないまま隣に座り込んでいるしか出来なくて。
横を見れば、お姉さんが目を閉じて何か考えているみたいだった。

しばらく、沈黙が俺とお姉さんの間に流れる。

『私には、何もない』、か…

俺はふとこの人がさっき言った事を思い出した。

本当にそうなのかな。
何もない人間っているんだろうか?

それとも、俺が知らないだけなのか?

大体、この人は本当に何もない人なのか?

俺にはそうは思えない。

断言できないけど、この人は…気づいてないだけなんじゃないだろうか。

自分には何もないと思い込んで、本当はいい所もあることを忘れてるんじゃないだろうか。

 ガタッ

思った瞬間、俺は思わずベンチから立ち上がり、こう口にしていた。

「ダメですよ。」
「へ?」
「ダメですよ、そんな風に自分を責めちゃ!まだどうなるかわからないんですよ!?」

お姉さんは要領を得ない顔で俺を覗き込む。
俺はそんなお姉さんの目を見つめ、スゥと息を吸ってから更に大きな声で言う。

「お姉さんはあまりにも自信がなさ過ぎます!!」
「!!」

 ハア ハア

言い終わってから俺は肩で息をした。
滅多に大きな声を出すことはないから、少し疲れたみたいだ。

お姉さんはというと突然の俺の一喝にびっくりしたのか、ポカンとした顔で硬直している。

「スイマセン、偉そうに…」

俺は謝罪した。

「でも、俺は本当にそう思うから。」

お姉さんは何も言わない。ただ、俺の次の言葉を待っているみたいだった。

「俺、テニスやってるんです。」

沈黙を肯定と受け取って俺は言葉を続ける。

「何回も試合しててダメだったこともありました。でも、俺は諦めなかった。」

俺はここで一旦言葉を切って息を吸った。

「俺はどうしても、部のみんなと一緒に全国大会へ行きたいから…!」
「アンタ…」
「だから、貴方も諦めないでください。」

上からお姉さんを見下ろす格好で俺は言った。

せめて、自分の思いが伝われば、とそう思いながら。

「お姉さんにもきっと、何か見つかりますよ。」

そして、俺はまだ迷っているお姉さんに最後の一押しをした。

「少なくとも俺はそう信じてますから!」

勢いに乗って言うだけ言ってしまった俺はそっとお姉さんの顔色を窺った。

ダメ、かな…。お姉さんは自分の中に入っていってしまったような顔をしている。

もしかしたら、俺のしたことは余計なお節介だったかもしれない。

お姉さんの手がスッと、俺の肩に向かって伸びてくる。

 ポンッ

「!」
「ありがとう、そこまで言ってくれて。」
「お姉さん…」
「何かさ、何とかやってみようって気になったよ。」

お姉さんは言って、よっと立ち上がった。

その顔は、何かすっきりしたみたいに晴れ晴れとした笑顔だった。



「悪いね、助けてもらった上に戯言にまで付き合ってもらって。」

日が西に大分沈んでいる頃、お姉さんが言った。

「いえ、全然。」

俺は答える。

よかった。ちょっとは立ち直ってくれたみたいだ。

「じゃ、私はそろそろ帰るよ。全国行けるの、祈っとくね!」
「有り難う御座います。それじゃあ…」

俺が失礼します、と言いかけた時だった。

「あっそーだ!」

お姉さんが急に何か思い出したように言った。
それからジーンズのポケットからメモ帳と鉛筆を取り出して何やら書きつける。

その姿がちょっと、乾に似ているかもしれないと思って俺は軽く忍び笑いを漏らしてしまった。

そこへメモ帳を一枚ちぎったやつが目の前に突き出されたもんだから、俺は密かに慌てた。

「これ、受け取って。」
「?」

渡されたメモには、
同人誌即売会
○月☆日 9:00から ××ホールにて。
サークル名:寝ぼけウサギ
スペース:I−16
と書いてあった。

「あの、これは…」
「お礼ってゆーのも何だけどさ、よかったら来てくれ。」

お姉さんは言って公園の出口に向かって歩き出す。

「じゃ、しっかり自分の道を歩いてくれたまい、少年。私は行くから。」
「はい、有り難う御座いました。さようなら。」

俺はお姉さんに向かって頭を下げた。

「そーそー、」

振り向かずに遠ざかりながらお姉さんが言った。

「それ、いらなかったら捨てていーからねー。」

勿論、俺にその気がなかったのは言うまでもない。


そうして、何日か経った頃。

「うっわーすっごい人並んでるー。ねぇ大石ー、本気にゃの〜?」
「当然だろ、せっかく書いてもらったんだから。」

何やら不安げな英二に俺は答える。

「でも言っとくけどさ、大石っ、こーゆー漫画系のイベントってすんごくマニアックな人も来るってねーちゃんが言ってたよっ。
カルチャーショック受けても俺知らないからね!」
「ハハ、そりゃ大変。でもその割には連れて行けってうるさかったな、英二。」
「とーぜんじゃん、大石1人じゃ心配だもん。」

……英二に言われるとなぁ。

俺は一番前が見えないくらい凄い長蛇の列を眺めながら、この中からあのお姉さんを見つけられるだろうかと思った。


そんな具合で俺と英二が会場に入ったのは、並び始めてから20分は待った頃だった。

「おーいしー、どこかわかる?」
「思ったより人が多いからわかりにくいな…パンフレットによればこの辺なんだけど。」

俺は言いながら、会場入りした時に渡されたB5の冊子をめくる。
冊子には会場の見取り図が書いてあったけど、会場は広いし人が多くて、今居るところから目的のところまでの位置関係が掴みにくい。

その間にも俺のダブルスパートナーは1人騒いでいた。

「わ〜、大石、見て見てー。あのキャラなっつかしー☆」
「すっごーい、あんなドレス着てるー。あれ、自分で作ったのかなー?」
「あっあの人、格好いいー!」

…ダメだ、いくら見取り図を見ても全然わからない。あまり通路の途中で突っ立っているわけにも行かないし。
とうとう俺は英二の視力に訴えることにした。

「英二、楽しんでるとこ悪いけど、I-16ってスペース探してくれないか?」
「Iの16?おっけー、任せてにゃっ!って、いきなしはっけーん!!」

早っ!
英二がビシッと指さした先には、『I-16』と書かれた紙が貼ってある長テーブルとそこに座っている見覚えのあるお姉さん。

「寝ぼけウサギ新刊出しましたー、どうぞ見てってくださーい♪」
「英二、行こう。」
「りょーかいっ!」

俺と英二はI-16のスペースに向かった。

「お姉さん!」

声をかけると、お姉さんは気がついた。
前に会った時はラフな格好をしていたけど、今日は小奇麗なワンピースを着ていてなかなか素敵だと思う。

「よお、少年!来てくれたのか!!」
「勿論ですよ、あ、友達も一緒なんです。」
「そーかそーか、ま、じっくり見てってくれたまい。」

俺がテーブルの上を見ると、そこには多分コピーで作ったんだろう、本が平積みされている。

「すごいなぁ、これ漫画ですよね?全部ご自分で作られたんですか?」
「おう、誠心誠意込めて作ったコピー本よ。いやー、今日までに間に合わすのに難儀したのなんのって…」

言ってお姉さんはワッハッハと笑う。
前に会った時よりも随分とふっきれた感じだ。

俺は、置いてあった見本用の一冊を手にとってみた。

『うさ吉くんの1日。』

かわいらしいウサギが表紙で人参をかじっている絵本みたいな本だ。
表紙は色紙に白黒ですられているだけだし、ページも多くなくて重くない本のはずなのに、何故だろう、妙な重みを感じる。

ページをめくって中を見ると、そこにはお姉さんの作り上げた世界が広がっていた。

ああ、そうか。

コピー用紙に繰り広げられる世界を見ながら俺は思った。

重みがあるはずだ。
だってこの人は、この本に自分の思いをたくさん込めている。

絵の一つ一つが、この人が一生懸命描いたことを語っている。

?」

俺の横で同じように見本を見ていた英二が急に声を上げた。
多分、本に記してあった著者名を見たんだろうけど、どうしたんだろうか。

「俺、知ってる!!俺のねーちゃん、昔この人のコピー本買ったんだ!大好きだからって何度も読んでた。
もうボロボロになっちゃったけど、今でも持ってるよ!」
「そうなのか、英二?」
「うん、ねーちゃん言ってたよ。読んでてすっごく楽しいって。疲れた時に読むと元気出るって。」

俺はハッとして思わずお姉さんを見た。

お姉さんは吃驚したのか、顔を真っ赤にして口をアクアクさせている。

「よかったですね、お姉さん。」
「う、うん。」

お姉さんはぎこちなく首を縦に振った。


そんな訳で、俺と英二はさんのところでそれぞれ本を買った。

俺は妹の土産に、英二はさんのファンであるお姉さんにと、自分用にも一冊買っていた。
(さんが新刊で出した本に出ている熊が大五郎に似ているのが気に入ったようだ)

「少年、」

俺達が買った本を袋に入れてくれてる時、さんは俺だけ聞こえるように小さく言った。

「私、決めたよ。プロの漫画家になるって。どう思うよ?」
「よかった。」

俺は微笑んで言った。

「ご自分の道を見つけたんですね。」
「親に何言われるかわかったもんじゃないけどね。でも、多分やらなきゃ後悔するだろうから。」
「俺もそう思います。頑張ってください。」
「サンキュー。っと、はい、どうぞ。」

俺と英二は丁寧に袋に入れられた本を受け取った。

「それじゃあ、さん。俺達は行きます。」
「ああ、気をつけてな。」
「俺、ねーちゃんに報告するねんっ♪俺もさんに会ったって。」
「それじゃあお姉さんによろしくとお伝えしてくれたまい。」

そうして、俺と英二はさんのところを離れる。

「まいどあり!!」

背中から、さんの声が聞こえた。



「おっはよーん、おーいし!」
「やあ、英二。お早う、今日は早いんだな。」
「へへー、俺だってたまにはやるもんね!それよりさっ、どうだった?」
「? 何が?」

俺が首をかしげると英二はもー、にっぶいなぁ、と膨れた。

さんの本ー。大石は妹に買ったげたんでしょ、何て言ってた?あ、俺のねーちゃんはね、すんごく喜んでたよ、
久しぶりにさんの漫画読めて。俺も読んだけどさ、すっごくよかったよ。何かさ、ホカホカするんだ。」

それで俺はわかった。

「うちの妹も面白かった、また読みたいって言ってたよ。俺も読ませてもらったけど…あの人は優しい気持ちにさせる話を作るのが上手だね。」

言いながら、俺はふと昨日妹に見せてもらったさんの漫画の一こまを思い出す。

小さなウサギが楽しそうに走り回っていた一こまを。
それを見て、自分もつい微笑んでしまったことを。

「すごいよねー、さんってさ。」
「そうだな。」

俺は言ってふと、空を見上げた。

空は青く晴れ渡っていて、雲ひとつない。

さん、もっとたくさんの人に喜んでもらえるようになるといいよね。」

英二が呟いた。

「なれるさ、あの人なら。」

そう、きっと大丈夫。
だって、あの時俺は見た。さんの目が本気だったのを。

そうして俺と英二は静かに空を見上げる。

どれくらいそうしていただろうか。

「さっ、」

しばらくして、俺はうーんと伸びをした。

「俺達も練習に行かないとな。」
「そだね、目指すは全国制覇だもんねっ!」
「ああ。」

俺は英二と一緒に校門をくぐって、テニスコートまで歩き出す。

「今日も暑くなりそうだな。」


さん、頑張って自分の道を行ってください。

俺も自分の道を行きます。



The End



作者の後書き(戯言とも言う)

撃鉄シグ、初の大石夢にして、初の年上ヒロインであります。

不二少年のLittle Happiness、菊丸少年の『英二の1日お兄ちゃん』に引き続き、今回の作品も昔メモ帳に描きつけた漫画が元になっています。

元の漫画ではヒロインが関西弁だったので、それを標準語に書き直し、更に色々と付け加えました。
また、タイトルはカンマで繋いでいたのですが、後で英文法的にどうやろかと思ったので今回を機に&に直しました。

ただ夢小説サイトは数あれど、大石少年を同人誌即売会に行かせた夢小説は多分ここくらいしかないかと(^_^;)
わかりにくかった方、いらっしゃいましたらすいません。

せめて、大石少年に背中を押してもらいたい方にこの作品を捧げます。


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